2014年03月18日

東京で春一番

「気象庁は18日午前、関東地方で「春一番晴れ」が吹いたと発表」とのこと目

すごい強風だがく〜(落胆した顔)

家の中にいても、外で物が飛ばされている音が凄い耳

風が吹いた時のドゥアー

((اللَّهُمَّ إِنِّي أَسْأَلُكَ خَيْرَهَا ، وَأَعُوذُ بِكَ مِنْ شَرِّهَا))

アッラーフンマ インニー アスアルカ ハイラハー。ワ アウーズ ビカ ミン シャッリハー。

「アッラーよ、私はあなたに風の良きことを願い、その悪からのご加護を求めます。」

((اللَّهُمَّ إِنِّي أَسْأَلُكَ خَيْرَهَا ، وَخَيْرَ مَا فِيهَا ، وَخَيْرَ مَا أُرْسِلَتْ بِهِ وَأَعُوذُ بِكَ مِنْ شَرِّهَا ، وَشَرِّ مَا فِيهَا ، وَشَرِّ مَا أُرْسِلَتْ بِهِ))

アッラーフンマ インニー アスアルカ ハイラハー、ワ ハイラ マー フィーハー、ワ ハイラ マー ウルスィラトゥ ビヒ。ワ アウーズ ビカ ミン シャッリハー、ワ シャッリ マー フィーハー、ワ シャッリ マー ウルスィラトゥ ビヒ。

「アッラーよ、私たちはあなたに風の良き事と、その中にある良きものと、そのために送られたところの良き事を願います。そしてその悪と、その中にある悪と、そのために送られたところの悪からのご加護を求めます。」
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2014年03月11日

アル=バカラ章の考察 その10

今回の考察では、アッラーの道に対するイスラエルの民の反抗の別の形について追ってみていきましょう。

預言者ムーサー(彼に平安あれ)が自分の民の為に彼らの彷徨いの最中、雨乞いをしました。

考えてみてください。

アッラーはイスラエルの民の為に空から雨を降らせることが出来ますが、彼らに足元にある石から水をお与えになりました。
通常、あなたが杖で石を打ったならば、杖の方に影響が出るでしょう。
ですが、ここでは奇跡によって彼らに水を与えるために石が割れたのです。
その水は12の泉であり、イスラエルの民の部族は12で、各々が各々の水飲み場に行きました。
ですから、恩恵に対するあなた方の感謝は、大地を汚すことであってはならないのです。

>>ところが、彼らは高品質で苦労無く多くを手に入れられたマンナとウズラという天からの恩恵を拒み、彼らが自らの手で植えつける大地からの食べ物を求めました。

彼らが安心するために物事を目にしなければならない物質主義者たちだということを忘れてはなりません。

それ以前にも、彼らはアッラーを崇拝する為に、アッラーを実際に目にすることを求めました。

また奇跡によって彼らの元に水が湧き上がりましたが、ここで彼らは、ある日、目が覚めたらマンナとウズラが見当たらない時のことを恐れ、原因無しに、アッラーから直接やって来る恩恵の代わりに、耕作と種蒔という原因によってやってくるものを求めましたが、いったいどうやってどこにでもある物をアッラーからの直接の恩恵の代わりに求めるというのでしょうか?!

それは、彼らの忍耐の少なさとアッラーの命令の軽視とかれの恩恵への蔑視の証拠です。

>>アッラーの印を拒否して信じず
>>不当に預言者たちを殺害し
>>罪を犯し
>>アッラーのしもべたちに敵意を向けた

その為、アッラーは彼らの行為と同じ種類でもって、屈辱と貧困と激怒という報いを彼らに被らせました。

これらの節が、預言者(彼に祝福と平安あれ)の時代に存在していたイスラエルの民のウンマ(共同体)に向けられたものだということを思い出してください。
アッラーへのこれらのイスラエルの民の背信行為は預言者時代のイスラエルの民たちの先祖たちの行為なのです。

預言者の時代のイスラエルの民たちは自らを褒め称え、預言者ムハンマド(彼に祝福と平安あれ)やムスリムたちよりも自分たちの方が優っていると吹聴していました。
その為、アッラーは彼らの先祖たちの状況を露わにし、彼らの先祖たちも彼ら自身も忍耐と高貴な人格の持ち主たちではないことを明らかにしました。

アッラーに感謝するしもべの皆さん、あなたのもとにやってきたアッラーの恵みを受け入れなかったり、それに代わる物を望んだりしてはなりません。
至高なるアッラーは、あなたにとって何が良いのかご存知です。
アッラーがお創りになられた道に素早く応え、忍耐強い者でありなさい。
自らを不当に扱ったこれらの人々(イスラエルの民)が進んだ道を歩んではなりません。

次回の考察では、更なる彼らの反抗の形を見ていきましょう。

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2014年03月09日

アル=バカラ章の考察 その9


はじめに、アル=バカラ章の考察シリーズをご覧になっている皆さんに感謝します。
アッラーの書(アル=クルアーン)の熟考、学習、実行へと向かうその心をアッラーが輝かせてくださりますように。

今日の考察は、イスラエルの民がアッラーの道をどのように受け止めたのか、ということについてです。

前回の考察で、『おお、イスラエルの民よ』というアッラーの御言葉が指す相手は、当時マディーナとその周辺のイスラエルの民たちと、後世のイスラエルの民たちだということが分かりました。
そして、前述のアーヤート(諸節)は、命令事項と禁令事項、つまり「追従するのが求められている道」の展開で始まりました。

今回の考察では、彼らのその「道」への反抗の幾つかの形についてお話しします。
アーヤートは、イスラエルの民たちが注意を促されるよう、また私たちが、彼らの悪い例を模範としないよう注意を促されるよう、イスラエルの民の祖先たちが行ったことの羅列―彼らが自分たちを奴隷とし、屠殺・殺害していたフィルアウンを溺死させ、フィルアウンとその民たちからの救助というアッラーの恩恵に対し、恩を仇で返したこと―で始まりました。

☆アッラーへの崇拝行為の中に幸せを求めるアッラーのしもべよ、あなたへのアッラーの恩恵に対し、決して仇で報いてはなりません。

アッラーに感謝するしもべは、アッラーからの恩恵を受け入れ、自分が享受している全ての恩恵がアッラーによるものであると感じることに努め、その恩恵をアッラーへの服従の道において利用します。

>>しかしながら、イスラエルの民は、アッラーではなく、子牛を神として崇めました。

☆しもべよ、決してあなたの心をアッラー以外のものの為に煩わせてはなりません。
愛情と畏怖と希望でもって心をアッラーに向けてください。


>>イスラエルの民は預言者ムーサー(彼に平安あれ)に、「実際にアッラーを見せてくれ」と言いました。

☆物質主義的な思考に囚われてはなりません。

彼らは崇拝する為に目にしたいのです。
これはあなたの信仰の試練、つまり不可視のものを信じるということへの英知に相反しています。

>>彼らはエルサレムに入るよう命じられましたが、それを拒否し、40年の彷徨いで罰せられました。そしてムーサー(彼に平安あれ)の死後、ユーシャア・ブン・ヌーンとともに新しい世代の者たちがエルサレムに入ることを命じられた時、彼らは、「サジダし、アッラーに許しを請いながら入ること」を命じられたにも関わらず、彼らはサジダせず、「ホット・アンナー・ハターヤーナー(主よ、我々の罪を許して下さい、の意)。」とは言わずに別の言葉に言い換え、仰向けに這い蹲りながら(彼らの頑迷さに注目して下さい!)、「ヒンタ・フィー・シャイーラ(大麦の中の小麦、の意)」と言いました。

☆アッラーへの崇拝行為の真の実行を願うしもべよ、命じられた限り、決して、頑迷に命令されたことを別のことにすり替えたり、命令への違反を欲してはなりません。

今回の考察で分かったことは、以下のことです。

>>彼らの不義理と忘恩
>>彼らのアッラー以外の子牛崇拝
>>彼らの物質主義的思考
>>命じられたことへの彼らの頑迷さと違反

アーヤートはこれらのこと全てを「お楽しみ」や「あなたの歴史的知識を増やすこと」の為に私たちの前に展開されたのではありません。
クルアーンの全ての節は、あなたが幸せになることを助けるためのものです。
そしてあなたの幸せは真にアッラーへの崇拝を実現することによるのです。
そして前述したとおり、アル=バカラ章の諸節は、あなたが「彼らの為の導きがあるアル=ムッタクーン(アッラーを畏れる人々)」になるのを助けるものなのです。

アッラーのお許しのもと、次回はアッラーの道に対するイスラエルの民の反抗の別の形について見ていきます。

アッラーが私たちを、かれのお言葉を聴き、最もよいことに従う者たちとしてくださりますように。
posted by ターリブルイルム at 00:53| Comment(0) | TrackBack(0) | アル=バカラ章の考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする