2014年03月20日

第34の伝承

アン=ナワウィー師の『40のハディース』より

第34の伝承

アブー・サイード・アルフドリー―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による。

彼は伝えている。

私はアッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―がこう言われるのを聞いた。

お前たちの誰でも、悪行を見かけたら自分の手でそれを変えるようにするがよい。
それができなければ自分の舌で。
それもできなければ心で。
だがそれしかできない者は、もっとも信仰の弱い者。

これはムスリムの伝えている伝承である。
posted by ターリブルイルム at 00:42| Comment(0) | TrackBack(0) | ハディース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月06日

“しもべは、全て、死の時の状態のまま呼び出される。”

日本ムスリム協会の『日訳サヒーフ・ムスリム』3巻「天国の書」より

p724−725「死に際して善き希望をもつことについて」より

ジャービルは語っている:

「私は、預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)が“しもべは、全て、死の時の状態のまま呼び出される。”と言われるのを聞いた。」(注:鍵括弧、二重引用符、預言者祝福祈願の言葉は著者が追加)

このハディースの解説には、死の時の状態、つまり信仰者だったのか、あるいは不信仰者だったのか、また、善行を行っていたのか、あるいは悪行を行っていたのか、またあるいはその者がジハードにおいて殉教した場合にはその状態で、あるいはイフラームの状態で亡くなった場合にはその状態で呼び出される・・・など意見の相違がある。

いずれにせよ、しもべは、きっとアッラーが自分の罪や怠惰を赦して下さり、楽園に入れてくださるだろうという希望を持つと同時に、アッラーは罪やそれを悔い改めないことに対して厳しい罰を与えられるお方であるということを忘れてはならない。



posted by ターリブルイルム at 09:16| Comment(0) | TrackBack(0) | ハディース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月10日

「家を墓のようにしてはならない。シャイターンは雌牛章が読まれる家から逃げる。」というハディース

アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によると、アッラーの使徒(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は言った:「家を墓地のようにしてはならない。本当に、シャイターンは雌牛章が読まれる家から逃避する。」(ムスリムの伝承)


意味:
家をそこで礼拝されることの無い墓場のようにしてはならない。スンナやナフルの礼拝をし、アル=クルアーンを読むのだ。なぜならシャイターンはアル=クルアーンの読誦・・・特に雌牛章が読誦される場所から逃げるからである。

同じ意味のハディースが幾つかある。

イブン・ウマルによると、アッラーの使徒は言った:「あなた方の家で礼拝しなさい。そして、そこを墓場のようにしてはならない。」

ジャービルによると、 アッラーの使徒は言った:「あなた方の誰でもモスクで(義務としての)礼拝を行う時、(義務以外に行う礼拝の中から)彼の家庭で行うものをとっておくべきである。誠にアッラーは、人が家庭で礼拝を行えばその家に祝福を垂れ給う。」

アブー・ムーサーによると、アッラーの使徒は言った:「アッラーの御名がそこで唱えられるような家と、アッラーの御名がそこで唱えられないような家とでは生と死のような相違がある。」



雌牛章の徳

アブー・ウマーマはアッラーの使徒が(次のように)言われるのを聞いたと言った
「クルアーンを読唱せよ。復活の日、それはそれを読唱した者の仲裁者として来てくれる。
読唱せよ、光輝の二章、雌牛章とイムラーン家章を。復活の日、それらはあたかも二つの雲か陰のように、あるいは翼を広げた二群の鳥のように、それを読んだ者の弁護のために来てくれる。雌牛章を読唱せよ、その実行は喜びの因でありそれの放棄は悲しみの因である。魔術師に雌牛章は不可能なのである。(注)




(注)「魔術師に雌牛章は不可能なのである。」:つまり、彼らは雌牛章を読んだり、そこに書かれている意味を理解する事ができない。あるいは、彼らは雌牛章を読誦する人に魔術をかける事はできない、という意味。
posted by ターリブルイルム at 08:52| Comment(0) | TrackBack(0) | ハディース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする