2013年10月01日

アル=バカラ章の考察 その7


アッラーがお作りになったこの世の法則と創造の物語とアーダムの物語を知った後、そしてイスラエルの民がどのようにそのアッラーによる万物の法則を受け入れたのかを知る前に、私たちは、そもそもイスラエルの民とは誰なのかを知らなければなりません。


昔々、ムーサーの時代のファラオではない、別のファラオたちがエジプトを統治していました(ファラオとは個人名ではなく、当時のエジプト統治者の称号です)。

これらのファラオたちの後に、エジプトを侵攻し、ファラオたちを倒し、エジプトを統治したヒクソスがやって来ました。
彼らの時代のエジプト統治者は「王」と呼ばれ、彼らの時代に預言者ユースフ(彼に平安あれ)が遣わされました。

その為、預言者ユースフの到来について私たちに告げているユースフ章のアーヤは、
『王は(命じて)言った:「彼を私のところに連れてきなさい。」』(12:50)とあるのです。

つまりヒクソスの時代にはファラオではなく、「王」がいたのです。
またユースフは預言者ヤアクーブ(彼に平安あれ)の息子で、ヤアクーブは「イスラエル」なのです。

その後ファラオたちは再び勢力を盛り返し、ヒクソスを追放しました。

エジプトの統治はファラオたちの下に戻り、この時代に預言者ムーサー(彼に平安あれ)が遣わされました。
ムーサーの時代のファラオはエジプトにいたイスラエルの民たちに2つの復讐を望んでいました。

1)というのも、彼らイスラエルの民はヒクソスの盟友で、ヒクソスのエジプト占領を助けました。ですので、ファラオたちがヒクソスに勝利した時、彼らはイスラエルの民を殺害し、彼らの家々を焼き、復讐しました。

2)2つ目の復讐は、イスラエルの民の男児たちの屠殺でした。
これは、ファラオが「エルサレムの方角から火が降り注ぎ、イスラエルの民以外のエジプト人全員が焼け死ぬ。」という夢を見たからです。そしてこの夢の解釈として、「イスラエルの子孫から男児が出て、その者の手によってあなたの支配が終わるでしょう。」ということがファラオに告げられると、彼はイスラエルの民の子孫の男児の新生児を全員屠殺するように命じました。
ですが、ファラオの民は、彼に、男児の新生児の屠殺は1年おきにするよう意見しました。

こうしてファラオはイスラエルの民の男児たちを殺害し、女性たちを辱めて彼らに酷い罰を課していました。それはイスラエルの民にとって大きな試練でした。



ですが、彼らのこの歴史を知ることが何の為になるのでしょうか??

私たちは、イスラエルの民がどのようにそのアッラーによる万物の法則を受け入れたのかを知り始める前に、この彼らの歴史を理解しておかなければなりません。

何故なら至高なるアッラーは、私たちに教訓として物語を述べられるからであり、また私たちイスラームのウンマ(共同体)がアッラーの法に背いた者たちの道を歩まないようにしなかればならないからです。

それはイスラエルの民とは誰なのか、そしてどのようにファラオが彼らを蹂躙していたのかを私たちが理解するためであり、私たちが心から諸アーヤとともに生き、彼らのアッラーの法則の受け入れ方がどうだったのかを理解し、クルアーンの中で最も多く述べられた奇跡と訓戒の物語であるムーサーとイスラエルの民の物語に耳を傾けるためなのです。

誰がイスラエルの民なのか?そしてファラオの彼らへの復讐の理由のこの要約の後、
次回の私たちの考察は、インシャーアッラー、イスラエルの民に至高のアッラーが何を命じられたのか??そしてアッラーの法への彼らの応答は如何なる物だったのかについて、です。


アッラーよ、私たちに、知識とあなたの書の秘密に関する知識を増やして下さい。

(筆:熟考グループ)






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2013年08月02日

アル=バカラ章の考察 その6


『かれこそは、あなたがたのために、地上の凡てのものを創られた方であり、更に天の創造に向かい、7つの天を完成された御方。またかれは凡てのことを熟知される。』(2:29)

至高なるアッラーは、アッラーに背く為ではなく、アッラーへの服従の為に、それによって自らを強化すべく地上の凡てのものをあなた方の為にお創りになられたのです。

それからアル=クルアーンの数々のアーヤ(節)は、どのように創造が始まったのかということについて、そしてイブリースのアーダムへの敵意とイブリースがアーダムにサジダしなかった言い訳の物語を、そしてアーダムがお互いに世代から世代へと引き継いでいく地上の後継者であるということに関する話を展開してきます。

つまり、私とあなたはこの地上の後継者であり、それはまた私たち以前に地上の後継者だった者たちがおり、私たちが彼らを引き継ぎ、そして私たちは後に消え去り、また別の民が私たちの後を引き継ぐのだということです。

「私たち全員は後継したことに関して何をしたでしょうか?私たちの主がお好みになられ、ご満悦されるような崇拝の道を実現させたでしょうか?」

それからアル=クルアーンのアーヤはアーダム(彼に平安あれ)の物語と崇拝の道の試練について展開していきます。

→「〜しろ」と「〜するな」
→「われは住まわせた」「食べろ」「近づくな」
→命令と禁令

これこそが我々に課されている崇拝義務なのです。

地上の後継者であるあなたが必要としている基本事項をアーダム(彼に平安あれ)の物語から学びましょう。

あなたは以下のことを学びます:

☆崇拝の道とは命じられたことと禁止されたことから成る。

☆主に背く事により、その者は安寧から追い出される。

☆アーダムの子孫よ、この地上において、イブリースはあなたの敵である。だから彼を警戒し、彼があなたを唆さないように明確な敵と位置づけるべきである。

☆もし主に背いてしまったならば、アーダムがし、それをアッラーが受け入れてくださり、彼をお選びになられ正しい道へとお導きになられたように、直ちにタウバ(悔悟)すべきである。
サジダを認めず拒絶し、捨て台詞をいったイブリースがやったように調子に乗ったり頑固に背き続けてはならない。

☆タウバは背いた者にとって、また社会にとっても慈悲であるから、背いた者はアッラーへの反抗を続けないことである。


地上の後継のテーマを終える前に、後継者の創造の幾つかの英知を学んでみましょう。

それは、アッラーによる「創造」にアッラーの奇跡が現れる為なのです。

アッラーは預言者たち、信じる者たち、殉教者たち、誠実な者たちを被造物の中からお選びになられます。

創造すること無しには崇拝されることはなく、この後継するということもジハードや祈願やその他のイバーダ同様、崇拝行為の中の1つなのです

アッラーはアーダムの子孫たちを敵と味方か区別されるべく試練にかけられる。
イブリースがそのうちに秘めていた悪を暴かれたように。

それからアル=バカラ章の多くのページはアル=クルアーンの中の最大の物語であるイスラエルの民と彼らはどのような地上の後継者であったのかということ、またそもそもイスラエルの民とは誰なのか、彼らは誰に帰するのか、そして私たちが彼らの物語から何を学ぶのかということについて展開していくのです・・・
posted by ターリブルイルム at 22:32| Comment(0) | TrackBack(0) | アル=バカラ章の考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月24日

アル=バカラ章の考察 その5


もしあなたに、「次の文章を完成させなさい。」と言ったとします。
・・・「もし幸せな人になりたかったら、(  )でありなさい。」
カッコ内に一語入れなさい。

…であれ。
…であれ。

正解は、(しもべ)でありなさい。

そう、「しもべ」です。
あなたはアッラーのしもべとなる為に、この地上に存在しているのです。
アッラーはしもべとする為だけに私たちを創造されたのです。

あなたのアッラーに対するしもべとしての性質が具現化されるたびに、
あなたは幸せになっていくのです。

『あなた方は、われが戯れにあなた方を創ったとでも考えていたのか。またあなた方がは、われに帰されないと考えていたのか。アッラーは、尊くて気高い、真実の王者である。高潔な玉座の主を置いて外には神はない。』(23:115−116)

『ジンと人間を創ったのは、ただわれに仕えさせる為。』(51:56)

そしてアル=バカラ章で、人間への最初の呼びかけが行われたのです。
『人々よ、あなた方、またあなた方以前の者を創られた主に仕えなさい。おそらくあなた方は畏れるだろう。』(2:21)

「イバーダ(崇拝行為)」とはどういう意味でしょう?
それは、「アッラーがそれをお好みになられ、それにご満悦される、外に現れる、また内に秘められるあらゆる行為と言動の総称」です。

「abadaアバダ」というアラビア語は、「服従した、従った、謙虚になった」という意味です。

「しもべである」とは、あなたの崇拝の対象があなたがそうあるようにとあなたに望むとおりに自分自身を形作っていくということです。

その対象が、あなたがこうあるようにと、ある方法で望む時に、あなたがそうあることなのです。

もし、あなたがしもべになったのであれば、アッラーに服従し、かれの命令と禁令に従い、
望んで、心からかれに服従し、あなたの創造主がお好みになられたことを喜んでするでしょう。

この表現こそが至高なるアッラーのご満悦を得る目的であり、この為にこそ、預言者たち(彼らに祝福と平安あれ)は使わされ、その為に天と地は創造されたのです。

それから、アッラーが人々に、かれを崇拝するよう呼びかけた時、その御言葉を『おそらくおそらくあなた方は畏れるだろう。』という言葉で閉じられました。

私たちは、アル=バカラ章の既に述べた考察の中で、「お導きは畏れる者たちへのもの」だと学びました。

私たちの元には今、以下のような構図が見えてきます:


イバーダ(崇拝行為)<<タクワー(畏怖)<<ヒダーヤ(導き)

アル=ファーティハ章で、アッラーが私たちにヒダーヤへと呼びかけた時、アル=バカラ章が私たちにそのヒダーヤへと導く為にやって来ました。そして、この「書(クルアーン)」が導きそのものであり、その導きはムッタキーン(畏れる人々)の為にあるのだと私たちに明らかにしました。それからタクワーへと到達する方法がイバーダなのだと、私たちに明らかにしたのです。

つまり、あなたがアッラーを崇拝すれば、あなたはかれを畏れ、もしあなたがかれを畏れたのであれば、かれはあなたをお導きになられる、ということです。

ですが、いったいどうやって正しい崇拝を実現させられるのでしょうか?

☆アッラーにご援助を求めてください。

☆正しい崇拝実現のために奔走して下さい。(アッラーにかれへの崇拝を助けてくださるよう求めなかったり、その実現の為の奔走や行為を伴った望みを持たなかったり、その他の努力や行動なしでいるのではなく)

☆崇拝することへの忍耐(あなたはアッラーのへの従順なしもべとなる為に、忍耐と努力を必要としています)

☆アッラーを崇拝すればするほど、至高なるアッラーによる監視を実現すること、これは「イフサーン(アッラーを崇拝するたびにあなたはあたかもかれを目にしているようであり、もし見えなくとも、かれはあなたを見ておられる)」の階位です。

☆それからアル=クルアーンの章と節全てが、あなたのアッラーへの崇拝実現を助けてくれます。全ての章がアッラーへの崇拝のある側面をあなたに教え、あなたのある面を抑制させてくれるのです。

ですから、アル=クルアーンをしっかりと掴み、そこにあるものを実行し、また、アッラーへの崇拝実現の恩恵を受ける為に、スンナに対してもアル=クルアーン同様に行うべきなのです。

そうすれば幸せな人になれるでしょう。

アッラーよ、あなたを念じ、あなたに感謝し、あなたを善く崇拝することに関して私たちをお助けください。
posted by ターリブルイルム at 12:51| Comment(0) | TrackBack(0) | アル=バカラ章の考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする