2014年03月11日

アル=バカラ章の考察 その10

今回の考察では、アッラーの道に対するイスラエルの民の反抗の別の形について追ってみていきましょう。

預言者ムーサー(彼に平安あれ)が自分の民の為に彼らの彷徨いの最中、雨乞いをしました。

考えてみてください。

アッラーはイスラエルの民の為に空から雨を降らせることが出来ますが、彼らに足元にある石から水をお与えになりました。
通常、あなたが杖で石を打ったならば、杖の方に影響が出るでしょう。
ですが、ここでは奇跡によって彼らに水を与えるために石が割れたのです。
その水は12の泉であり、イスラエルの民の部族は12で、各々が各々の水飲み場に行きました。
ですから、恩恵に対するあなた方の感謝は、大地を汚すことであってはならないのです。

>>ところが、彼らは高品質で苦労無く多くを手に入れられたマンナとウズラという天からの恩恵を拒み、彼らが自らの手で植えつける大地からの食べ物を求めました。

彼らが安心するために物事を目にしなければならない物質主義者たちだということを忘れてはなりません。

それ以前にも、彼らはアッラーを崇拝する為に、アッラーを実際に目にすることを求めました。

また奇跡によって彼らの元に水が湧き上がりましたが、ここで彼らは、ある日、目が覚めたらマンナとウズラが見当たらない時のことを恐れ、原因無しに、アッラーから直接やって来る恩恵の代わりに、耕作と種蒔という原因によってやってくるものを求めましたが、いったいどうやってどこにでもある物をアッラーからの直接の恩恵の代わりに求めるというのでしょうか?!

それは、彼らの忍耐の少なさとアッラーの命令の軽視とかれの恩恵への蔑視の証拠です。

>>アッラーの印を拒否して信じず
>>不当に預言者たちを殺害し
>>罪を犯し
>>アッラーのしもべたちに敵意を向けた

その為、アッラーは彼らの行為と同じ種類でもって、屈辱と貧困と激怒という報いを彼らに被らせました。

これらの節が、預言者(彼に祝福と平安あれ)の時代に存在していたイスラエルの民のウンマ(共同体)に向けられたものだということを思い出してください。
アッラーへのこれらのイスラエルの民の背信行為は預言者時代のイスラエルの民たちの先祖たちの行為なのです。

預言者の時代のイスラエルの民たちは自らを褒め称え、預言者ムハンマド(彼に祝福と平安あれ)やムスリムたちよりも自分たちの方が優っていると吹聴していました。
その為、アッラーは彼らの先祖たちの状況を露わにし、彼らの先祖たちも彼ら自身も忍耐と高貴な人格の持ち主たちではないことを明らかにしました。

アッラーに感謝するしもべの皆さん、あなたのもとにやってきたアッラーの恵みを受け入れなかったり、それに代わる物を望んだりしてはなりません。
至高なるアッラーは、あなたにとって何が良いのかご存知です。
アッラーがお創りになられた道に素早く応え、忍耐強い者でありなさい。
自らを不当に扱ったこれらの人々(イスラエルの民)が進んだ道を歩んではなりません。

次回の考察では、更なる彼らの反抗の形を見ていきましょう。

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2014年03月09日

アル=バカラ章の考察 その9


はじめに、アル=バカラ章の考察シリーズをご覧になっている皆さんに感謝します。
アッラーの書(アル=クルアーン)の熟考、学習、実行へと向かうその心をアッラーが輝かせてくださりますように。

今日の考察は、イスラエルの民がアッラーの道をどのように受け止めたのか、ということについてです。

前回の考察で、『おお、イスラエルの民よ』というアッラーの御言葉が指す相手は、当時マディーナとその周辺のイスラエルの民たちと、後世のイスラエルの民たちだということが分かりました。
そして、前述のアーヤート(諸節)は、命令事項と禁令事項、つまり「追従するのが求められている道」の展開で始まりました。

今回の考察では、彼らのその「道」への反抗の幾つかの形についてお話しします。
アーヤートは、イスラエルの民たちが注意を促されるよう、また私たちが、彼らの悪い例を模範としないよう注意を促されるよう、イスラエルの民の祖先たちが行ったことの羅列―彼らが自分たちを奴隷とし、屠殺・殺害していたフィルアウンを溺死させ、フィルアウンとその民たちからの救助というアッラーの恩恵に対し、恩を仇で返したこと―で始まりました。

☆アッラーへの崇拝行為の中に幸せを求めるアッラーのしもべよ、あなたへのアッラーの恩恵に対し、決して仇で報いてはなりません。

アッラーに感謝するしもべは、アッラーからの恩恵を受け入れ、自分が享受している全ての恩恵がアッラーによるものであると感じることに努め、その恩恵をアッラーへの服従の道において利用します。

>>しかしながら、イスラエルの民は、アッラーではなく、子牛を神として崇めました。

☆しもべよ、決してあなたの心をアッラー以外のものの為に煩わせてはなりません。
愛情と畏怖と希望でもって心をアッラーに向けてください。


>>イスラエルの民は預言者ムーサー(彼に平安あれ)に、「実際にアッラーを見せてくれ」と言いました。

☆物質主義的な思考に囚われてはなりません。

彼らは崇拝する為に目にしたいのです。
これはあなたの信仰の試練、つまり不可視のものを信じるということへの英知に相反しています。

>>彼らはエルサレムに入るよう命じられましたが、それを拒否し、40年の彷徨いで罰せられました。そしてムーサー(彼に平安あれ)の死後、ユーシャア・ブン・ヌーンとともに新しい世代の者たちがエルサレムに入ることを命じられた時、彼らは、「サジダし、アッラーに許しを請いながら入ること」を命じられたにも関わらず、彼らはサジダせず、「ホット・アンナー・ハターヤーナー(主よ、我々の罪を許して下さい、の意)。」とは言わずに別の言葉に言い換え、仰向けに這い蹲りながら(彼らの頑迷さに注目して下さい!)、「ヒンタ・フィー・シャイーラ(大麦の中の小麦、の意)」と言いました。

☆アッラーへの崇拝行為の真の実行を願うしもべよ、命じられた限り、決して、頑迷に命令されたことを別のことにすり替えたり、命令への違反を欲してはなりません。

今回の考察で分かったことは、以下のことです。

>>彼らの不義理と忘恩
>>彼らのアッラー以外の子牛崇拝
>>彼らの物質主義的思考
>>命じられたことへの彼らの頑迷さと違反

アーヤートはこれらのこと全てを「お楽しみ」や「あなたの歴史的知識を増やすこと」の為に私たちの前に展開されたのではありません。
クルアーンの全ての節は、あなたが幸せになることを助けるためのものです。
そしてあなたの幸せは真にアッラーへの崇拝を実現することによるのです。
そして前述したとおり、アル=バカラ章の諸節は、あなたが「彼らの為の導きがあるアル=ムッタクーン(アッラーを畏れる人々)」になるのを助けるものなのです。

アッラーのお許しのもと、次回はアッラーの道に対するイスラエルの民の反抗の別の形について見ていきます。

アッラーが私たちを、かれのお言葉を聴き、最もよいことに従う者たちとしてくださりますように。
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2013年11月28日

アル=バカラ章の考察 その8


アッラーは私たちに、最初の創造の話・アーダム(彼に平安あれ)の物語、そしてイブリースのアーダムへの敵意について語られました。
その後、そしてアーダムが地上に落ち、アッラーが人類に導きの道とそこを歩む者たちの行き着くところ・迷いの道とそこを歩む者たちが行き着くところを、そしてタウバ(悔悟)は受け入れられたものの、イブリースは人類に敵意を持って監視している為、イブリースへの警戒を義務づけたことを明らかにした「道」を私たちに授けてくださいました。

すると人類は何をし、どのようにアッラーの道を受け入れたのでしょうか??

アル=クルアーンの多くの節は私たちに、アッラーの道とイスラエルの民―彼らの罪の多さゆえ多くの預言者たちが遣わされた―の物語を展開していきます。

注意すべきことは、私たちはマディーナ啓示、つまり預言者(彼に祝福と平安あれ)がアル=マディーナに移住した後に下った章を読んでいるという点です。

私たちの預言者はアル=マディーナで、マディーナとその周辺にいたイスラエルの民、そして彼らの後の人々に対し、「イスラエルの民よ・・・」と語りかけた節を読んだということです。

このことはこれらのクルアーンの節の理解の為にとても重要なことです。

至高のアッラーは預言者ムハンマド(彼に祝福と平安あれ)とその後の時代のイスラエルの民たちに、イスラームに入ることと預言者ムハンマド(彼に祝福と平安あれ)に従うことを命じているのです。
(もし誤った者たちが「人にはそれぞれの宗教がある」と言ったならば、私たちは彼らに「預言者ムハンマド(彼に祝福と平安あれ)以降にイスラーム以外の宗教がアッラーに受け入れられることはありません。その根拠となるアル=クルアーンの多くの節が、アル=バカラ章他にあります。」と言うのです。)

アッラーは彼らの信仰心を奮い立たせるために彼らの祖である「イスラエル」の名で彼らを「イスラエルの民よ」と呼んだのです。
「イスラエル」とはアッラーの預言者、ヤアクーブ(彼に平安あれ)のことで、この呼びかけは、「真理に従った誠実で従順なしもべだったヤアクーブの子孫たちよ」という意味です。
ヤアクーブは彼の息子たちに「息子たちよ、アッラーはお前たちの為にイスラームの教えを選ばれた。だから、お前たちはムスリム(アッラーに帰依する者)として以外、死んではならない。」とイスラームの教えと共にあること・アッラーに誠実に仕えること・かれに服従することを遺言したのでした。

至高なるお方は、彼らへの呼びかけを「彼らへのアッラーの恩恵を思い出すこと」で始められ、また終えられました。
そしてその呼びかけの間に、今までに私たちが述べたように「〜しなさい。」「〜してはならない。」との幾つかの命令と禁令を述べられました。

彼らに求められたことは、
☆恩恵を思い出すこと
☆アッラーとの約束を守ること(私たちは、アッラーがタウラート(トーラー)の中で、彼らに「後に世界中の人々が従う偉大な預言者(ムハンマド)が遣わされ、かれに従うものは楽園に入り、2つの報奨を得る」ということを約束したことを知っていなければなりません。
☆『あなた方のもとにあるもの、つまりタウラート(トーラー)とインジール(福音)の真理を証明すべく下されたもの(つまりクルアーン)を信じなさい。』
☆『それ(預言者ムハンマドとアル=クルアーン)を最初に拒むものであってはならない。』
☆『永遠の幸福を差し置いて、僅かな代償でわれの印を売ってはならない。』
と飴と鞭の両方で呼びかけました。
☆『知っていながら、真理を隠してはならない。』
☆『礼拝の務めを守り、定めの施しを無し、ルクーウ(立礼)に勤しむものたちと共に立礼しなさい。』
とムスリムたちが礼拝するように礼拝することを彼らに命じました。
ユダヤ教徒たちの礼拝には立礼がありません。
アッラーは預言者ムハンマドを遣わされた後には、イスラーム以外の教えを受け入れないということを明らかにされました。

彼らは人々に善行を命じ、新しい預言者の到来の吉報を伝え、預言者到来の暁には自分たちがその預言者を信じることを公言していましたが、いざ新しい預言者が到来すると、「自分たちの仲間内ではないものだから」という理由で、その信仰を拒みました。

それからアッラーは、彼らに忍耐と礼拝でもってアッラーのお助けを請うよう命じました。
そしてこれらの命令と禁令を、それで始めたように、アッラーの恩恵を思い出させることで終えられ、それから誰も他のもののために身代わりになれない「最期の日」の恐怖で呼びかけを締めくくられたのでした。

☆これらの節が語るイスラエルの民とは誰なのか?
☆イスラーム以外の教えはアッラーには受け入れられない。
☆彼らに命じられ、また禁じられたことは何なのか?

これらの重要なことをしっかり頭に入れておきましょう。
さて、その後、イスラエルの民たちはどうしたのでしょうか???

次回に続く・・・
posted by ターリブルイルム at 06:21| Comment(0) | TrackBack(0) | アル=バカラ章の考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする