2014年03月09日

アル=バカラ章の考察 その9


はじめに、アル=バカラ章の考察シリーズをご覧になっている皆さんに感謝します。
アッラーの書(アル=クルアーン)の熟考、学習、実行へと向かうその心をアッラーが輝かせてくださりますように。

今日の考察は、イスラエルの民がアッラーの道をどのように受け止めたのか、ということについてです。

前回の考察で、『おお、イスラエルの民よ』というアッラーの御言葉が指す相手は、当時マディーナとその周辺のイスラエルの民たちと、後世のイスラエルの民たちだということが分かりました。
そして、前述のアーヤート(諸節)は、命令事項と禁令事項、つまり「追従するのが求められている道」の展開で始まりました。

今回の考察では、彼らのその「道」への反抗の幾つかの形についてお話しします。
アーヤートは、イスラエルの民たちが注意を促されるよう、また私たちが、彼らの悪い例を模範としないよう注意を促されるよう、イスラエルの民の祖先たちが行ったことの羅列―彼らが自分たちを奴隷とし、屠殺・殺害していたフィルアウンを溺死させ、フィルアウンとその民たちからの救助というアッラーの恩恵に対し、恩を仇で返したこと―で始まりました。

☆アッラーへの崇拝行為の中に幸せを求めるアッラーのしもべよ、あなたへのアッラーの恩恵に対し、決して仇で報いてはなりません。

アッラーに感謝するしもべは、アッラーからの恩恵を受け入れ、自分が享受している全ての恩恵がアッラーによるものであると感じることに努め、その恩恵をアッラーへの服従の道において利用します。

>>しかしながら、イスラエルの民は、アッラーではなく、子牛を神として崇めました。

☆しもべよ、決してあなたの心をアッラー以外のものの為に煩わせてはなりません。
愛情と畏怖と希望でもって心をアッラーに向けてください。


>>イスラエルの民は預言者ムーサー(彼に平安あれ)に、「実際にアッラーを見せてくれ」と言いました。

☆物質主義的な思考に囚われてはなりません。

彼らは崇拝する為に目にしたいのです。
これはあなたの信仰の試練、つまり不可視のものを信じるということへの英知に相反しています。

>>彼らはエルサレムに入るよう命じられましたが、それを拒否し、40年の彷徨いで罰せられました。そしてムーサー(彼に平安あれ)の死後、ユーシャア・ブン・ヌーンとともに新しい世代の者たちがエルサレムに入ることを命じられた時、彼らは、「サジダし、アッラーに許しを請いながら入ること」を命じられたにも関わらず、彼らはサジダせず、「ホット・アンナー・ハターヤーナー(主よ、我々の罪を許して下さい、の意)。」とは言わずに別の言葉に言い換え、仰向けに這い蹲りながら(彼らの頑迷さに注目して下さい!)、「ヒンタ・フィー・シャイーラ(大麦の中の小麦、の意)」と言いました。

☆アッラーへの崇拝行為の真の実行を願うしもべよ、命じられた限り、決して、頑迷に命令されたことを別のことにすり替えたり、命令への違反を欲してはなりません。

今回の考察で分かったことは、以下のことです。

>>彼らの不義理と忘恩
>>彼らのアッラー以外の子牛崇拝
>>彼らの物質主義的思考
>>命じられたことへの彼らの頑迷さと違反

アーヤートはこれらのこと全てを「お楽しみ」や「あなたの歴史的知識を増やすこと」の為に私たちの前に展開されたのではありません。
クルアーンの全ての節は、あなたが幸せになることを助けるためのものです。
そしてあなたの幸せは真にアッラーへの崇拝を実現することによるのです。
そして前述したとおり、アル=バカラ章の諸節は、あなたが「彼らの為の導きがあるアル=ムッタクーン(アッラーを畏れる人々)」になるのを助けるものなのです。

アッラーのお許しのもと、次回はアッラーの道に対するイスラエルの民の反抗の別の形について見ていきます。

アッラーが私たちを、かれのお言葉を聴き、最もよいことに従う者たちとしてくださりますように。
posted by ターリブルイルム at 00:53| Comment(0) | TrackBack(0) | アル=バカラ章の考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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