2017年05月31日

1、サウムの義務

あらゆるイバーダの受け入れられる条件とは、アッラーの教えに則り、ニーヤを「至高のアッラーのみに奉げる」と純化することである。

イバーダを行う時には、それに関連する法規定を学ぶべきである。それは自らが行ったイバーダが無効になるかもしれないという心配をなくし、そのイバーダをアッラーのもとで受け入れられるに相応しい状態にする為である。

サウムに関連するアーヤとして、
((يا أيها الذين آمنوا كتب عليكم الصيام كما كتب على الذين من قبلكم لعلكم تتقون))
(2:183)がある。

((يا أيها الذين آمنوا))
「信仰者たちよ」という呼びかけを聞いたならば、私たちムスリムは注意深く耳を傾けなければならない。その呼びかけの後に続くのが、イブン・アッバースの伝承のとおり「それを行うことが命じられる良いことか、禁じられる悪いこと」だからである。

サウムというイバーダを行う者は、このサウムの呼びかけが至高のアッラーからのものであるということを心に留めるべきである。それにより、その者の信仰は、「たとえ目に見えなくとも、あたかもアッラーを目前にしているかのように崇拝する、あなたの目に見えなくとも、アッラーはあなたを見ているのである」というイフサーンの段階に到達するのである。

預言者は仰られた:「ラマダーン月にその義務性を信じ、アッラーの報奨を願ってサウムする者は、過去の罪を赦される。」

サウムの義務は、啓示が下るとともに課されたものではない。ヒジュラ暦2年までサウムの義務化は遅れたのである。

ラマダーン月のサウムの前に義務付けられたのは、アーシューラーの日のサウムである。

預言者はこのアーシューラーの日のサウムを既にマッカで行っていた。その後、彼がマディーナにやって来た時、ユダヤ教徒たちがこの日にサウムするのを目にし、彼らに問いただすと、「この日は預言者ムーサー(彼に平安あれ)と彼の民がフィルアウンたちから救い出された日だ」と告げられた。すると預言者(彼に祝福と平安あれ)は「私たちのほうがユダヤ教徒たちよりムーサーに関する権利がある」と言い、人々にこの日のサウムを義務付けた。

ヒジュラ暦2年になると、このアーシューラーの日のサウムの義務は取り下げられ、替わりにこの日のサウムは行われるのが好ましく、1年の罪を帳消しにするものとして残った。
((ما ننسخ من آية أو ننسها نأت بخير منها أو مثلها))
(2:106)にあるように、アッラーはアーシューラーの日のサウムの義務を無効にし、ラマダーン月のサウムの義務というより良いものを命じられた。

その他の法規定と同様、サウムもそれが義務付けられるにあたって、段階を踏まえて義務付けられた。
最初、サウムはそれを行っても、それを解いてもよいものとして齎された。
サウムを解いた者は、貧者1人に食事を施せばよいとされた。
((وعلى الذين يطيقونه فديةطعام مسكين))
(2:184)

彼らはサウムすることが可能であるが、もしサウムしないのであれば、貧者一人に食事を施さねばならない。

その後サウムは次のアーヤによって完全に義務となった。
((شهر رمضان الذي أنزل فيه القرآن هدى للناس وبينات من الهدى والفرقان فمن شهد منكم الشهر فليصمه))
このアーヤが下った後にはサウムするかしないかの選択の余地はなくなり、ラマダーン月のサウムはイスラームの柱の1つとなったのである。

((كتب عليكم الصيام كما كتب على الذين من قبلكم لعلكم تتقون))
(2:183)

啓典の民にとって義務であったのと同様、あなた方にもサウムが義務付けられたとある。ムスリムのサウムは当初、啓典の民のサウムと同じやり方だった。彼らはサフールを摂っていたか?というと、答えは「摂っていなかった」だ。彼らはサフールを摂らず、もし眠ってしまったならば、その後に飲食物を口にすることは禁じられていた。

ムスリムたちも当初、眠った後は飲み食いが禁じられていた。それはカイス・ブン・スィルマに出来事が起こるまで続いた。
posted by ターリブルイルム at 20:08| Comment(0) | TrackBack(0) | サウム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする